チェンナイは縁あって何度も訪れている町なのですが、本格的な雨季に訪れたのは初めてです。

 

 

到着早々、どうしたらこんなに大量の水分を上空に溜め込むことができたのかと呆れるほど、ドボドボと(こう表現するのが一番しっくりくる)流れ落ちる中を車は走りました。しかしここは流石のインドです。ノーヘルで二人乗りのバイクは歓声と共に走り去ります。運転している子は前もろくに見えていないと思いますが、、、そこは神業ですり抜けているのでしょう。現地の友人の話によると、数年前にひどい雨量に見舞われた年があり、その時には乗っていた車から出られなくなるほど水が増えてしまい、本当に危機一髪だったそうです。そんなことを聞いたあとでは今日の雨はまだ序の口なのかもしれません。

 

一旦雨が降り始めると落ち着くまで行動が遮断されるので、雨宿りしようか、ということになります。抗えない力には無理やり立ち向かわずに落ち着くまで待ってみようというわけです。確かに、この雨は24時間降り続けてはいないのです。
 

 

例えるなら、赤ちゃんの泣き声が止まらなくてむしろどんどん強くなっていく、あの感じを想像していただくとぴったりくるのです、いつか泣き疲れて眠ってしまうこともある、そんな感じです。私は気圧の影響を受けて「いつもの調子」が出なくなってしまうことがあるのですが、今日はこの雨の降りようを軒下に座って2時間ほど眺めていていました。単純に足止めを喰らったのですが、豪快な量の水に、日常のもやっとした、気がかりなあれこれまでも洗い流されていくような気がしました。


 


隣に座る人の声がよく聞こえないほど屋根を打ち付ける雨の音は激しくて、会話もろくに成立しないのですから、そんなとき人はどうするかというと、雨を眺めて、頭に浮かんだことを自分自身でなぞっていくようです。自然の猛威に滅多にない時間を与えられたのですから、ゆらりとそれを受け止めて自分を膨らませてゆきなさいということなのでしょうか。

 

「天の神様の言う通り」子供の頃の遊び歌にそんなフレーズがあったのを思い出します。社会に生きるいっぱしの人間ですからロジックに物事を考えるべきことが多いのですが、「天の神様」のメッセージをたまには受け止められるように居たいものです。こんな時に気がかりなのに中途半端に保留事項にしていることなどを考えてみるのも良い、そういうことを忘れるなよ、そんな風に土砂降りの雨に教わりました。

 

今朝も雨が降っています。通りをみれば雨ニモマケズ人々は元気に活動しています。さて今日の私はどんな写真を撮るのでしょう。