こんにちは!

暦の上では立秋を過ぎましたが、皆さまお住まいの地域はいかがですか?

こちらは、8月2日の朝、玄関を開けた時に入ってきた風に少しの冷たさがありました。遠くでは、冬が準備をはじめているようです。今年は早いなぁ。

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さて、絶賛・情報ダイエット中の私ですが、ある気付きがありました。それは、「情報は ”寄り” で見すぎると、全体像を見失う。」ということです。
そう思ったのは、とあるテレビ番組がきっかけでした。

当時お気に入りだった人気ファッションモデルが、海外で旅する様子を追った番組。いつもインスタや雑誌で見かける彼女は、画に書いた様な完璧なスタイルの持ち主で、もちろん顔もキレイ。様々なルックをさらりと着こなす、素敵な方。

しかし、ですよ、放送2分、空港から出てきた彼女を見て、ちょっと驚いちゃったのです。
半開きの口に、だらしない歩き方。挨拶なしの入り。
正直、「がーーーーん!」(古い??)

しかし、なぜ「がーーん」なのか。我に問うわけです。

まず、口半開きの彼女にショックを受けた原因は、私が勝手に作り上げた「彼女」像を、私が勝手に期待していたからです。静止画しか見ていない私が、広告としてプロの仕事をする彼女しか見ていない私が、勝手にショックを受けてたんですよ。「寄り」がすべてであると思い込み、「幻想」を追いかけていたんですね。

素敵にしか映らない「寄り」を、勝手に全体のモノとして捉え、それを好いていたんです。あほや。

それは、バッグ一つ、器ひとつとっても、同じことかもな、とも感じました。 ”それだけ” 見ていると、全部素敵に見えちゃうんですよね。でも、全体を俯瞰してみなければ、私に必要なものかどうかは判別しにくいですよね。「木を見て森を見ず」ってやつでしょうか。

私はファッションが大好きですが、あれこれ見てたら終わりがないわけですよ、あのワンピースは可愛いけれど、私にはちょっと合わないよねって半ばあきらめにも似た判断は、失敗を重ねてきた大人だからできる立派な「術」なのでは??

インスタグラムには、本当にこれいいよ、と勧めているものもあるし、自己掲示欲や承認欲求で載せているもの(ヒト)もあるでしょう。こちらの好みに合わせて出てくる「オススメ」や、フォローしているアカウントと似たアカウントが表示されたりね。お気に入りでフォローしている方はどんなアカウントをフォローしているかが気になったりね。「これいいよ」連鎖が止まらないわけです。

あぁ、終わりのない ”わんこそば地獄” 。(※詳しくは前回のブログ「インスタグラムを辞めた夜」にて)知らずのうちに与えられていた情報が想像以上に多かったんです。辞めてから、気付いたんですけど。

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とうことで(?)、情報の過剰摂取は、全体を完全に見失う中2の恋の様でもありましたとさ。(締め、下手。笑)

欲望デブ、迷走しながらがんばってます。

私よ。「今、ここの私」に集中しないと、後では取り戻せないぞ。この光の中で過ごした時間より大切な温度が、そこ(=「寄り」の情報)にあるかい?